タバコの害極まる

ヤフーのニュースをみていたらタバコは肺のみならずあらゆる臓器に有害であることが判明したという。
 自分が好きな友達とか、尊敬する人、大切な知人が、喫煙の習慣を持っていることはさほど気にならなかった(友達の場合は止めろと会うたびに嫌味を言うことにしている)。
 しかし私はタバコの煙が嫌すぎて、タバコを吸う尊敬する人も、タバコを吸う大切な人も日常的にはあまり関わらずに済むようなコミュニケーションの方法を選ぶようになった。
 たとえば手紙とか、メールとかで極力済ます。直接会うとその人が喫煙で排出する煙で、危うくその人のもっている本来の価値そのものの尊厳もが、煙で曇って見えなくなってしまいかねないからだ。
 私の配偶者、兄弟家族、ひとりとして喫煙者はいない。また筆者は実力不足により、禁煙が徹底している職場への就職は出来なかった。だから会社も辞めることにした。上司同僚、禁煙者にお構いなしにタバコを吸う職場というのは、どうにも我慢できなかったのである。
 付き合いのある弁護士にこの前会ったら、彼は喫煙者であることが分かり鬱になった。しかも市の条例で路上禁煙防止地域に定められている筆者の近所の路上で、堂々と歩行喫煙している。
 弁護士のくせに、条例に違反している。条例は、法律の定めの範囲内で罰則を設けることができるはずだ。完全に「違法行為」なのである。
 喫煙者のヒトに対する筆者の偏見のひとつに、彼ら喫煙者は「思い込みが強いヒト」ではないかというのがある。
 筆者は、思い込みが強いヒトは、別に嫌いではないものの、付き合いたいとは思わない。思い込みのためにたとえばイラクの若者は自爆テロに自らの命を差し出したりする。思い込みってろくなことがない。
 喫煙者全員がそうとは言わないけれども、タバコを吸うことに異様なこだわりを見せる人がいる。「止めるくらいなら死んだ方がマシ」こう豪語した筆者の元上司。これは思い込み以外の何ものでもない。
 タバコなど吸っても吸わなくても、人生大して差がないのである。なのに、吸わないとダメと思いこんでいるのが喫煙者なのだ。吸わない人生なんて、かっこよくないし、あり得ないという、誤った思い込み。差がないなら吸ってもいいかというと、そうではないのは、身体への害の問題や、悪化する以外にない非喫煙者との関係からも明らかだ。
 アメリカはすごく思い込みが強い国だと思う。思いこんだら最後、どんどん行動に移して勝手なことをしでかす。
 そのアメリカは、国内では禁煙化が進んでいるのに、日本はじめアジア諸国へ猛烈な量のタバコを輸出し続けている。

Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com